草津重監房 | Ogre3:16 
カテゴリ:草津重監房





嘗て此処に特別病室と呼ばれていた監獄が存在した





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ハンセン病

それは主に皮膚と神経を侵す慢性の感染症で


顔や体が変形する外見と伝染に対する恐れから


明治時代以降


患者は全国に存在する数カ所の隔離施設に移され


奴隷のように扱われ自由と人権を奪われ


家族も含む外部との接触は一切遮断された


後にわかった事だが感染力は極めて低い





戦時中でもあった1938年から1947年の9年間の間


全国に数千人から数万人が居たとされる隔離施設から


強く人権を尊重するだけの一部の患者が反抗的と見做され


裁判さえ行われずに各隔離施設長の権限で送られてしまう


人道を逸脱した施設が存在した





その施設は国立療養所栗生楽泉園内の特別病室


その特別病室とは名ばかりの


暴力と虐待で支配されていた監禁所


通称「草津重監房」




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重監房(特別病棟)入口




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入ってすぐ左にあるのが治療室


正面の扉の奥が二つ目の扉





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この名ばかりの治療室では


一切そこで治療が行われることは無かった




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三つ目の扉




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そしてこの左側の四つ目の扉の中が独房(病室)




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全部で八室ほどあった独房(病室)には


光は殆ど差し込まず


そこで施設長や看守による


無秩序な暴力や虐待が連日のように繰り返された



四つの分厚い扉と厳重な警備の為


脱獄は不可能な地獄の国立療養所特別病棟


遺体の片付けは職員ではなく


重監房に入っていない他の患者が行わされていた





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敗戦後


奇しくも原爆を落した国でもある


米国軍医中佐が噂を聞き実態を把握し


高松宮宣仁親王に伝えられ


重監房が閉鎖される事となった




その後それに伴い


悪質な療養所の所長は罰せられ


全国にある保養所の愚行が改善される事となった




第二次世界大戦の死角での狂った人間が行っていた事実





国が全てを理解し謝罪したのは最近の事


それも悲しい





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